非金融系FPそばこと不確実な日々

2019年2月にCFPを取得しました。FPとして知っておいた方が良さそうなことを色々と書いていきます。

18年目の9.11

アメリワシントン州でカレッジを卒業した私は、同級生や先生とランチにいく約束をしていました。

午前10時頃に起きて、シャワーを浴びて、待ち合わせの先生のオフィスに着いたのは12時頃だったでしょうか。

オフィスではラジオからニュースが流れていました。何のニュースか聞いたら、飛行機が事故を起こしたらしいよ、なんて話を聞きました。

オフィスを後にしてチャイニーズフードレストランでランチをして解散したのは14時頃だったと思います。

コインランドリーで洗濯したかもしれません。その後、町を出てショッピングモールに買い物に行きました。

買い物が終わり帰途につく途中で、所々で軍の人が立っているのを見ました。私の住んでいた町には基地があったので軍の人がいることは珍しいことではなかったのですが、いつもに比べて多いなあと感じていました。

家に帰って、夕方に再放送をしているフレンズというドラマを見ようとテレビをつけました。17時頃のことでしょう。

テレビにはビルに飛行機が突っ込み炎上している映像が何度も繰り返し流れていました。

その日は2001年9月11日でした。

私が呑気なのか、西海岸で距離も時差もあったからなのか、私が事件に気付いたのは発生から12時間近く経ってからのことでした。今に比べると情報の伝達は早くなかったのもあるのですが。

パソコンを開くと私の安否を心配した日本からのメールが入っていました。アメリカにいた私より日本の方が情報が早かったのです。

ちなみに事件が起きたのは日本時間で火曜日のことでした。というのも当時ジャングルTVという番組をやっていて、私はとても好きだったので、日本で録画してもらっていたものをまとめて見ていました。その番組内で事件について速報が出ていたのです。ジャングルTVは火曜日に放送していました。

今日、あれから18年経ちました。不思議とあの日のことはしっかりと覚えているのです。

あの時感じたのは、自分は今、戦時下にいるんだという感覚でした。もしかしたらそれは大げさだったのかもしれません。しかし当時のアメリカの空気はそういうものでした。近くに基地があったのも原因かもしれません。

少なくともそれまで日本にいて感じたことのない感覚でしたし、その後日本に帰ってきてからも感じたことのない感覚です。

18年経った今も世界は混沌としています。あの時の怖さがあるからでしょう。私は絶対に戦争は反対です。それが仮初めであったり、嘘であってもいいです。人の命が軽んじられる事が起きないでいてくれれば、と願うのです。