非金融系FPそばこと不確実な日々

2019年2月にCFPを取得しました。FPとして知っておいた方が良さそうなことを色々と書いていきます。

9年目の3.11

毎年、3月11日が近付いてくるとテレビを見るのがイヤになってきます。というのも東日本大震災関連の話題や映像が増えるからです。

被災の度合いに差はありますが、私も被災をし、辛い思いもたくさんしました。9年も経つのですが、やはり今でも思い出すと辛いものです。

先日、たまたま地元の海岸沿いを車で走っていたのですが、高い防潮堤が海岸線沿いにあり、海が見えない状況です。かつては松が海岸線沿いにビシッとあったのですが、それは疎らです。それでも波に流されて壊滅的だった松も新たに生えてきて、元々あった背の高い松に並んで背の低い子どもの松が成長しているのでした。9年の月日を感じた瞬間でした。

新型コロナウイルスの影響で各種式典は規模を縮小して行うということでした。これを震災の風化に繋がるのではないかと危惧する人もいたようです。未来への警鐘として風化してはいけません。でも被災した者、現場を見た者にとっては、簡単に忘れることの出来ることではないでしょう。

ところで現在進行形の新型コロナウイルスの様々なことを通じて思い出したことがありました。

有事にこそ人間の本質が見えてくる。

震災の時には、水を求めて給水車に連日2時間くらい並んでいたでしょうか。そして8リットルの水を頂くのです。多くの人が並んでいましたが、誰も文句を言っている人はいませんでした。

給水所で担当していた方は自身が津波で家を流されて避難所生活を強いられている方でした。水を汲んでくれる自衛隊の方々は自分の生活があるのにも拘らず連日頑張ってくれていました。その給水車新潟県から私の町まで応援に来てくれているものでした。

他県から多くの消防車がクラクションを鳴らしながら来てくれたのは、心を強く後押ししてくれました。他県の警察官が随分と長い期間に渡り交通整理をしてくれていました。

そして多くの方々が遠方からボランティアに来て下さりました。今でも忘れられないのですが、北海道からボランティアに来てくれた若い方が「みんな見ています。安心してください。」というようなことを言ってくれたことです。要は被災地は孤立していないから、日本中が支援しているから安心してくれ、ということを伝えてくれたんだと思っています。その方は北海道から来て、定員オーバーでいくつかのボランティアセンターを巡って私の町に来てくれたんだと言っていました。

何とか商品を手に入れ正規の価格で販売してくれているお店もたくさんありました。売り物にならないからと言って、食品を無償で提供しているスーパーもありました。

もちろん、その真逆で悪いことをする人もいたのは事実です。

2時46分から1分間、サイレンが鳴り、それを聴きながら黙祷をする、そして今年も一区切りがつき新しい1年がスタートするのを実感するのです。