非金融系FPそばこと不確実な日々

2019年2月にCFPを取得しました。FPとして知っておいた方が良さそうなことを色々と書いていきます。

25年の月日を思う

今日2020年3月20日地下鉄サリン事件が起きてから25年の節目となる日でした。

私はその日の朝、新幹線に乗り東京に行きました。というのも進学で住む部屋を探すためだったのです。その日の時点では住む場所を確保出来ていなかったのでした。

昼頃にいったん実家に公衆電話すると母から「大丈夫なの?」と言われました。大丈夫かと言えば道に迷って大変だったので全然大丈夫ではなかったのですが、そういう意味ではなかったんですね。

その日の夕方に概ね目処がつき実家に帰ってニュースを見て初めて何が起きたのか知ったのです。というかあの時点では何が起きたのか正確には分かっていなかったと記憶していますが。

あの日何があったのか、その後どうなったのか、どう思ったのか、そこについてはこの場では置いておきたいと思います。

ふと25年前を思い出して、時代が大きく変わったことを実感したのです。あの頃はまだスマホどころか携帯電話も普及しておらず、気の利いた人がポケベルを持ち出した頃であったと記憶しています。

私はポケベルを使ったことがないのでよく分からないのですが、本来は電話を寄越してくれと通知するためのツールであったと記憶しています。しかし多くの人は数桁の数字でメッセージを送るという使い方をしていたのではなかったでしょうか。

ポケベルがないとなれば外から連絡を取る手段は公衆電話くらいしかなかったわけです。

当然ネットが繋がっているというわけでもないですから情報も入ってきません。速報となるとテレビかラジオ、新聞の号外くらいだったでしょう。あとは大きなビルにある電光掲示板があったかどうか。

そんなわけですから、私は東京に行っている間、何かが起きていることを知る由もなかったですし、母も私が電話するまでは連絡を取る術がなかった。さぞ不安だったことでしょう。

大事件が発生している傍らで、私は迷子になりながら住処を探していた。ある意味、今の普通の生活から見ると牧歌的でもあります。

もしあの頃に今のようにスマホなりがあり情報が即時に手に入るような状況であったならどうだったのでしょう。もっとひどいパニックになっていたかもしれません。逆に、もしかしたら被害をもっと小さく抑えることが出来たのかもしれません。

今は情報過多で、それが幸せなのかどうか、いいことなのかどうかは分かりません。今更スマホのような通信機器を手放すことは中々難しい気もします。それでもなければないなりに何とかなってきたんですね。

当時はネットが一般に出回り始めたことでした。ですから繋がるのも簡単なことではありませんでした。今は簡単に繋がることが出来る。25年で技術は凄まじいスピードで進化し、これからももっと進化していくのでしょう。

それでもふと、あの頃も悪くなかったなと思ってしまうのは年をとったせいなのかもしれません。